01.30
井手平城
井手平城(いでひらじょう)
築城年代は不明、天正年間(1573年〜1593年)に松浦鎮信によって築かれたと云われる。 松浦氏が佐賀方面からの侵攻に備えて築いた東端の城という。
天正14年(1586年)大村純忠は有馬氏・波多氏・有田氏を誘って早岐地方に侵攻し、井手平城を取り囲んだ。井手平城には岡甚右衛門・松口六右衛門・堀江大学など三百の兵が籠城し、対する大村氏方は波多氏・有田氏は内野口、大村氏・有馬氏は神徳寺口から攻め寄せた。激戦となったが次第に押し込まれ籠城方の大半が討死して落城したという。
入口に薬王院がありここは松浦隆信が建立した寺院で、井手平城落城時の戦没者を慰霊した仏石灯籠及び碑石があります。
薬王寺の仏石灯籠・碑石
井手平城が天正14年(1586年)大村、有馬等の連合軍によって全滅したときの戦死者の霊を弔うために領主の松浦隆信により造営されたのが城持山薬王寺です。
この仏石灯籠は碑銘にあるように元和2年(1616年)に供養のためにその遺族によって建てられたものです。
井手平城については不明な点が多く仏石灯籠と碑石は当時の事を書き残した貴重な資料です。
また、元和二年銘の供養塔を兼ねた石灯籠は佐世保市では極めて珍しく民俗資料としても重要です。
岡平兵衛母の五輪塔
岡甚右衛門にはもう一人、岡平兵衛という末っ子がいた。
立派な五輪塔で有耳五輪塔といわれる。高さ約一、八メートル、碑面に南無阿弥陀仏、その下に小さく「高月妙身」と有り、裏に為母施主岡平兵衛とある。
早岐郷土史概説より
天正十四年四月、井手平城で戦死した城主岡甚右衛門の末子平兵衛が建てたもので、恐らく江戸初期のものではあるまいか。もとは小森川畔にあったらしいが、移建されて、今は小森橋を渡り、重尾方面へ少し歩けば、右側に住吉神社参道入口があるが、その反対側の左側の石段を上る花立墓地入口にある。