飯盛城

飯盛城(いいもりじょう)

天文4年(1535年)松浦丹後守親によって築かれたと云われる。

明応7年(1498年)惣領相神松浦丹後守政の居城大智庵城は平戸松浦弘定に攻められ落城し政は自刃して果て、その子幸松丸(丹後守親)は平戸に捕らわれていた。その後、遺臣によって奪還され唐船城で成長した幸松丸は永正9年(1512年)丹後守親と名乗り旧領の回復に努め、相神浦を奪還して飯盛城を築き居城とした。

天文12年(1543年)平戸松浦隆信は南下して飯盛城を攻めたが和議となり一旦退いたが、永禄6年(1563年)再び飯盛城を攻撃、落城は免れたが相神浦の地が平戸松浦氏の手に落ち孤立したため、平戸松浦隆信の三男九郎を養子に迎え飯盛城を明け渡した。

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