大智庵城

大智庵城(だいちあんじょう)

延徳2年(1490年)松浦丹後守定によって築かれたと云われる。

延徳2年(1490年)丹後守定の時、惣領相神松浦氏は大智庵城を築いて武辺城より移ったという。

明応7年(1498年)丹後守定の子政の時、平戸松浦弘定によって攻められ落城、政は自刃して果て、その子幸松丸は平戸へ連れ去られ、惣領相神浦松浦氏は没落した。その後、旧臣によって幸松丸は奪還され、唐船城で育った後丹後守親(ちかし)と名乗り飯盛城を築いている。

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