亀岡城

亀岡城縄張図

亀岡城(かめおかじょう)

日之嶽城の築城は、慶長4年(1599年)説と慶長8年(1603年)説とあり断定しがたい。築城者についても前者であれば松浦鎮信(法印)であり、後者であれば隆信(宗陽)ということになります。
日之嶽城はその後出火、焼失している。理由としては放火説が有力であり、外様大名として幕府の改易をおそれた松浦氏が幕府の警戒心を和らげるために火をかけたと推察される。その後、およそ1世紀の間居城を構えず屋敷づくりのままで過ごしてきた。
松浦棟の代になり、5代将軍徳川綱吉の寺社奉行として一翼を担うようになり、元禄16年(1703年)2月23日付けをもって幕府に築城を願い出て、宝永4年(1707年)に完成した。

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